同じ道

人は様々なことを記憶します。それと同時に様々なことを無視しています。


毎朝、犬を連れて同じ道を散歩に行きますが、日々刻々と変化している草花を全て記憶しているかというと全くそんなことはありません。


この前も畑の隅に曼珠沙華が咲いていて、もう既にくすんだ色になっていました。 咲いていたことさえ気づかないで散歩していたのにです。

見た物を記憶しているかと言えば、そんなことはありません。色がくすんだ状態になった時に、はじめて咲いていることに気づいたのです。結構驚きました。


毎日散歩する道順は忘れませんが、風景が変化していることには全く気づきません。 きっと昨日の記憶が写真のように鮮明だったとして、それを見比べてみたとしたら気づくかもわかりませんが、日々の変化に気づくことは殆どありません。


これと同じで歴史を学んで思うことがあります。それは、何故こんなことをしたのか?

と疑問に思うことです。

今は過去に起こった事実を、鮮明になった写真で見比べるのと同じぐらいハッキリとわかったとしても、きっと、その時代に生きていた人にとっては、違いがハッキリとは認識されていなかったのではないかと思います。もし、そこで変化している事象を感じとっていれば、そんなことする必要がなかったということが一杯あるはずです。


「今」も一秒、一秒刻々と事象は変化しています。これは「今」しか気づけないはずです。いくら過去に起こった歴史を振り返ってみても、教養としては面白いかもわかりませんが、「今」起こっている変化を気づく為の能力とは、全く無関係です。それどころか、逆に過去に振り回されて見失ってしまうことが一杯あるんじゃないかとも思います。


しかし、確実に言えることは、「今」起こっている変化に気づく為には、毎日散歩して変化している風景を感じる能力であって、過去の記憶でないのはあきらかです。

人の身体を触っていると本当にそれがよくわかります。日々変化しているのに気づきます。同じような状態に見えて全く違うので、過去のデータは役には立ちません。


過去の歴史と「今」はホントに違うんだなと毎日実感しています。


御薗治療院

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