今日は全く別の話題が主題ですが、これもつながります。
最近、面白いアメリカのドラマに嵌まりました。未来のドラマなのですが、コンピューターの誤作動(AIの誤作動だったかもわかりませんが、そのあたりの内容は忘れました)で核が世界中で同時に発射され地球が住めなくなったという設定です。
よくありがちな内容だと思うのですが、宇宙ステーションにいる人達が、ステーションの中で100年以上生きのび、人類の最後の生き残りだと言う設定でした。しかし延命装置が壊れ、宇宙ステーションの中の人を減らさないと全員が死ぬということで地球に100人の囚人(若い人)を送り込むという決断を船長がしました。
地球に降り立ってみると幸い放射能の影響もなく普通に生きられるということがわかったのですが、地球には生き残っていたグラウンダーという人達が多数居たのです。 原始人のような格好をして、生き残っていたのですが、力が生き残る全てで、争いを征したグループが山の民、谷の民、森の民等々が生存競争をしながら生き残っていました。 まぁ本当に白人が考えそうな終末期で笑ってしまいたくなるような物語なのです。私も最初は、そんな馬鹿な~と思いながら文句ばかり言ってました。
彼らは、分け合うという考え方がないのかと思う程、同胞を殺します。人類が殆どいないというのに何を考えているのか・・・。
ただ、あちらのドラマの良いところはキャストが格別で、それぞれの演技が凄く個性的で人を魅了してしまいます。そのあたりはホントに凄いなと感心します。だからなのか感情移入しやすいのだと思います。 テーマは仲間を守る為という明目で、他のグループの人達を傷つけ殺し合う訳です。
やっと生活が安定して争いも少なくなった頃、古くなった原子炉が爆発して放射能が更に酷くなるという話しになりました。なんか現実離れした話しのような気がしますが、そこはあまり突っ込まないのがアメリカドラマの正しい見方です。
そんな中ジャスパーという一人の男が、仲間の為と言って生き残っても、また争って殺し合いをする。同じことの繰り返しをやっているじゃないかとリーダーを批判します。その頃、リーダーはシェルターを見つけ、そこにみんなを避難させるはずだったのですが自分は逃げない選択をして消極的自殺という道を選びます。
ずっと殺し合いをし続けてきたら、自分を守る為に不本意なことをして人を傷つけ仲間も裏切ったりするのに嫌気がさしたということです。 そういう人の生存本能と人間として感情の狭間で苦しみ、その選択をする訳です。
どうせ死ぬのなら、みんなが力を合わせて、いがみ合いをやめ協力したら良いのにと思うのですが、彼らにはそんな考えは微塵もないようなストーリー展開です。争わなくても協力しあって生き残る術はあったはずなのにと思うのですが、結局は争いをする選択をしてしまう訳です。戦うことが好きなんだろうなと思います。人より自分という個人が好きすぎる。
危機が迫っているというのに、また同じような問題を起こす人が何人かでてきて、やっぱり争いになってしまうのです。 自己主張は大切だと思いますが、そこまでするか~と思いますが実際そうやって生きのびてきた歴史があるからなのかもわかりません。
人はパニックになると、理性を失うというのはわかりますが、あきらかに勝手な行動をとったら全員が終わりだろうと言う行動をとるストーリーを考えつくのは作者が意図しているんだろうなと思います。
なぜ、この話しをしたかというと、身体の使い方も全く同じだと最近思うのです。痛みがあると言うことは、それをカバーする為に様々なことをしているということです。代償運動がそれに値します。しかし、冷静さを失うと、それが仇になって良くなるものも良くなりません。
それでもやってしまうのは、そこに個人という「我」が存在するからでしょうね。
このストーリーと全く同じです。 日本人といえど、そういう感情がない訳ではないのも、自分の身体や行動を観察するとよくわかります。 ただ、ここは少し心を落ち着けてジックリ観察すべきとこだろうと思うと活路が自然に見えてきます。
ドラマを見ていても、自分の中にある感情や行動をよく観察すると同じことが起こっているなぁ~と思います。自戒の念を込めて一つ一つのシーンを思い出しています。
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