逃げようとする自分を認めてあげないと、逃げてはダメという自分を作ってしまい結局はただ逃げるようになってしまいます。
この前の動画でも細川バレンタイン氏が語っていましたが、ひとかどの人物になりたいと思った場合、やはり強制というのは必要かも分かりません。しかし、その競争に敗れた人に、同じやり方は通用しません。
あくまでもひとかどの人間になりたいと思った人の話であって、そんなこと望まない人にとって、それが必要であるかと問われたら必要ないと私は思います。
(この話しの途中からURLをリンクしています)
どんなひとかどの人間になっても、例えば世界チャンピオンになっても、それを一生続けられる訳ではありません。必ず、その座を降りる日がきます。座を降りるか死ぬかのどちらかです。死んだ人には挑戦できませんからね。
また、王座を降りるぐらいなら死んだ方が良いと口では言っている人がいたとしても、それは単なる想像です。王座のまま、病死でなく自殺した人を私は知りません。(そんな人いるのかもわかりませんがが聞いたことありません)
必ず逃げようとする自分がいる訳です。その時に本当に同じような原理が通用するのでしょうか?
チャンピオンの座を降りました。次ぎは何をするのか?
そう簡単には死ねない訳です。
また強制して何かをするのでしょうか?
スポーツ選手の場合、チャンピオンの座にいる時間より、それを降りてからの時間の方がずっと長いはずです。本当に必要なものは何か?
それを考える日がくるはずです。チャンピオンになる練習はどれだけ辛くても我慢できても、辞めれば、それ以外のことをする日が延々と続く訳ですからね。
これってどうなん?
と思う時があります。チャンピオンになった訳でもないし、ひとかどの物になった訳でもないので、そんな人の気持ちは全く理解できませんが、そんな時、逃げれる自分を認められるかどうかなんじゃないかと思います。それで、その後の人生が決まってくるんじゃないかとも思います。
認めるって一言で言いますけど、これ程難しいものはないのかもわかりません。
0コメント