あるアニメのワンシーンの話しです。
「人間が人間であるための部品が決して少なくないように、自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの」 「他人を隔てるための顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった頃の記憶、未来の予感、それだけじゃない。私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり、それら全てが私の一部であり、私という意識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける」
これは攻殻機動隊というアニメの中で草薙素子という主人公が言ったセリフの一部です。このアニメは、1995年に公開されマトリックスも、このアニメから発想を得たと言われている当時としては画期的なものでした。ハリウッドで実写化されたことでも有名になったストーリーです。
気づいているかどうかは別として、自分が自分であるという記憶が如何に多くを含んでいるかということをこの内容は意味しています。
有名でもなく、ごく普通に生活している庶民にとっても、それは全く同じで、自分が自分であり続ける為に必要な物というのは、想像以上に大きい存在になってきています。これは好むと好まざるとに関わらず、そうしないと現代社会では生活を脅かすことになると思われているからです。
一昔前では考えられなかった程、膨大な情報が自分自身の一部分になっています。もちろん、その情報のおかげで、現代社会を生き抜く様々な武器を手に入れ、便利で文化的な生活を送れるようになったのも事実です。
そして、この現象が自分を自分だと強く認識させられるものに変化していったということです。 以前よりあきらかに「個」である特殊性が重視され、情報における貧富の差が激しくなってきました。
しかし、それで本当に良いのかと思える時があります。様々なことが解明され知識となり、それを応用することによって、進化発展していくのですから一見良いようですが、それに伴う弊害は、より強く「個」を意識させる存在になってきたと言えることだと思います。
大企業になると10人の部署があれば、1~2人は、何らかの精神疾患を抱えているといわれています。まさに、この情報化社会に取り残された人達の行き着くところだと言えなくもないのではないかと思います。
実はこのセリフの前に、擬態化した重い身体で、海に潜るシーンがあります。海に潜るのはどんな感じだと問われて、「怖れ、不安、孤独、闇、それからもしかしたら希望」 「海面に浮かび上がる時に今までとは違う自分になれる気がするの」と言うのですが、このセリフと最初のセリフで作者の意図が伝わるような気がします。
1995年当時に、今のようなネット社会が訪れ、人々をこの主人公と同じように思わせる未来が来ると誰が想像していたでしょうか?
このシーンは、本当に予言的なワンシーンだと私は思います。自分という個が個である為の様々な情報を抱え、その情報と共に重くなった身体そのものを海に沈め、もし、浮上できなかったらどうするのかと問われ、「その時は死ぬだけよ」と答えるシーンは、正に今の世の中を予測したとしか思えないように思います。
あきらかに崩壊への道をたどっていると予言したかったのだとも思います。違うシーンでは犯人を捕まえる時、「世の中に不満があるなら自分を変えろ、それが嫌なら耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ 」と言って犯人を捕まえるシーンもあります。
生き抜く力に対するリアリティを追求し、究極の選択の中で、実は苦悩する主人公の内面を垣間見るセリフだと思います。
1995年と言えば、マイクロソフトがWindows95を発売した年で、これからインターネットが身近になるぞと言う予感はあっても、誰が、今の状況を予測できたでしょうか?
そして、その先の未来に起こるかもわからない電脳化社会という設定で、人間の孤独を描いていた訳ですから、凄いとしか言い様がありません。
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