昨日は Facebook で非常にありがたいコメントを頂きました。
「気」の問題については長年、様々な議論があるとは思いますが、なかなか答えという答えは導き出すことはできていないのが現状です。 私も、一つの答えを導き出すと言うところまではいきませんが、できるだけ自分の分かっている範囲の中で答えてみたいと思います。
その前に、とても驚いたのは、日本人は「気」という言葉を見たり聞いたりしただけで、ある程度の予測みたいなものはつきますが、これを西洋人に説明する言葉がないので翻訳することができない。という現象が当初起こっていたらしいです。
戦後の最初には、エネルギーと翻訳したために混乱が起きたそうです。日本人からすると、この翻訳の方が、分かりやすいような気がしますが、今は、「空気」とか「酸素 」というような理解になっているそうです。
いかにも、唯物論的発想だなと感心してしまいます。 日本人は、「気」という言葉を元気や空気、気力、 呆気(あっケ)、嫌気(いやケ)色気、内気、浮気、電気、水気など、物質に近いものから、気分や物質の状態にいたるまで、様々なものとして表現します。
このような文化のない西洋では、どのように、捉えて良いのかがわからないのかも分かりません。 文化の違いというのは思っているより大きいのだなと感心させられました。
結論は、まだまだ先なので最後まで読んで頂けると嬉しいです。
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