「気」の問題2

外国と違い日本では、「気」を曖昧な表現をし続けてきたために、直感でしか分からないような、例えようのないものとしての表現しかされてきませんでした。 


これはこれで問題がないとは言えません。わかっているようでわかっていないということはわかっていないのと同様とも言えるからです。 


誰しもが雰囲気ではわかっているけど、特定はしてこなかったという文化が「気」という言葉にはあるように思います。これが西洋からは、難解とされることなのかも分かりません。

海外は白黒ハッキリさせる文化ですから、特定しないと気が済まないのかもわかりません。  


そこで、人の見方によって変わるものという表現をしたほうが良いのではないかと考えています。物質的に考えるならば、空気とか酸素というのも解釈はありだと思います。 

特に東洋医学的に考えると、確かに空気や酸素と考えた方が理解しやすいのではないかとも考えられます。


私自身がそのような考え方をしたことがないので、良い悪いを言うのはどうかとも思いますが、 唯物論的に考えれば、血流障害も、確かに酸素を送りこめば、血流が改善することも事実なので、それもありかなとも思います。 ただ、あくまでも条件付きです。 


それだけで「気」を説明できるものではないことも事実です。そこで一つの提案として術者の見方によって態度を変える何らかの作用という見方です。もちろん、それはXであって、何とは特定していません。変態するものなので、それぞれの状態によって呼び名が変わってもおかしくないからです。


臨床的に考えて実感すると、 a さんと b さんでは見方が違うので、言葉は同じ「気」であっても、その結果は大きく違ってくるという現象が普通にみられます。西洋文化では、それを認めることは不可能かもわかりませんが、それはあきらかな事実です。 


つづきます。 

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