詳しくはありませんが量子力学の世界でも、電子の状態は、観察しようとした人の状態によって変化するということがあるそうです。
電子は物質を構成するものの一つです。物質にも影響しているはずですが、観察者の見方によって態度を変えるなんてことが起こるそうで、それが何故起こっているのか明快な答えはでていないみたいです。この現象からも「気」の理解の一つのヒントになるかもわかりません。 私にとって、このような理解以上には、量子力学の理論が必要であるとも思わないので詳しく勉強はしていないので突っ込まれても困りますが、これは大きなヒントだと思いました。まぁ説明するのに都合が良かったというだけなので、別に量子力学を使って説明するつもりもサラサラないのですが・・・。
量子力学の話しは完全に切り離して考えても、曖昧なものを、明確にしようとすれば条件設定が必要だと言うことは普通にわかります。 条件設定次第で、全く捉え方の違うものになるということです。
以前ブログでも紹介したと思いますが、私が押さえた場合の圧痛の感じ方と初心者の先生が押さえた場合の圧痛の感じ方は大きく異なります。 同じ場所を同じように押さえているのに、同じ結果にはなっていないということです。
これは何度やっても同じです。 何が違うのか?
と考えなければなりません。平面で考えるのではなく多層構造をしていると考えた方が良いということです。条件設定や、そもそもの人間としての条件が違うので、見え方は違って当たり前だとしか私には思えません。
だから、同じ手技を習っても効果を出せる人と出せない人がある訳です。そして習いたてと、習ってからしばらくしてからでも違いがある訳です。そんなことに振り回されてはいけないと言っている訳です。意識は日々変化し、更新されています。昨日の自分と今日の自分は大きく違います。それに手技の内容がついていってない訳です。考えた人の思考はそこで止まっているからです。それがわからない人が多すぎるので、色んなセミナーに行って余計に混乱してしまう訳です。
日本人は、虹を七色に描きますが、三色の国もあれば、五色の国もあるそうです。見え方は全ての人が同じと言う誤解がこのような問題を引き起こしたと考えればわかりやすいのではないかと思います。
東洋医学における例が脉診です。脉診を極めるには、「気」の多層構造を理解する必要が絶対にあります。 そうでないと、人によって感じ方に違いがある脉診を説明することは不可能です。自分が診た脉が達人の脈と違っていて当たり前だと言う前提で観点しなければ絶対に理解できないことです。
なぜ、同じにならないといけないのか?
それは、学校教育の影響は大きいのではないかと思います。答えは一緒になり、それがテストの点数に反映するということを子供の頃から叩き込まれてきたからです。私は学校教育はそれはそれで良いと思いますが、その影響をはねのけて飛躍するのは、本人のたゆまぬ努力だと思っています。
常識に囚われていたらあかん。
でも常識は、大事なのです。
どちらが正しいなんて誰が決めた?
そんなのないのです。
つづきます。
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