脉診の結果をみてもわかるように、圧痛でも運動による検査でも術者の状態や経験、検者の思考によって捉えられるものと捉えられないものがあります。意外に思う術者もあるかもわかりませんが、これは事実なので実験してみればわかります。教える立場の人は、これを理解していないと、何故、そんな簡単なことができないのかと疑問に思ってしまいます。もちろん、教えられる立場の人も何故できないのかと落ち込んでしまいます。
一つの実験を全く同じ結果にする為には様々な条件が全く同じでなくてはなりません。しかし、現実的にはどんな実験も完全に同じにすることは不可能です。化学の実験では必ず条件設定をします。常温で一気圧で実験をした結果は、こうこうこういう結果になりました。 というような但し書きを付け加えます。
人を診る場合も、これと全く同じはずです。しかし、そこまでやっても化学の実験ですら全く同じ結果にはなりません。人間の身体は、様々な条件設定があります。分かりにくい条件設定の一つとしては、思考や感情による変化です。よくあることですが、検者に好意的な被検者と好意的でない被検者では、その結果に違いが起こります。疑似薬の実験などは、あきらかにそれを認めている為に行う実験です。そういう意味では西洋医学の方があきらかに進んでいます。
術者Aが一人の患者の肩を押さえた場合(これは、同じ人が同じ場所を同じように押さえた場合ということです)術者Aの思考が、水の流れの異常であると思考していた場合と血の流れの異常であると思考していた場合では同じ部位を押さえても同じ結果にはなりません。よそ事を実験の最中に考えていたら尚更です。
このことに注意を向ける術者は、ほとんどいません。ベテランと初心者では全く違うというのは誰しもが経験することだと思いますが、なぜ一人の術者であっても思考の違いによって変化するということを理解できないのか、逆に私には理解できません。 きっと、同じ力で同じように押さえれば同じ結果になるという思い込みがあるからだろうと思います。しかし、それは大きな間違いです。
その思い込みは唯物論的思考の結果です。 思考や感情は全く無視した結果しか受け入れないという考えで行うと実験は完全に失敗します。そういう思考で人を教えると、あきらかに落ちこぼれを量産してしまいます。
物質的な設定の結果は、こういう結果
感情を含んだ状態の場合には、こういう結果
感情を超えたものを含む状態の場合では、こういう結果
というような、界層構造的な条件設定が必要だと言うことです。少なくともそれを意識している必要があります。
それを踏まえた上で「気」を論じると統一したものになりやすいと思います。もちろん、それでも十分ではありませんが、より近づいた結果にはなると思います。 これはベテランの術者でもあまり気づいている人は少ないと思います。
人は感情で変化します。これは紛れもない事実です。
商品が悪くても、宣伝が良ければ話題になって売れたりします。同じものでも売り方によって違うというのは日常的に起こっている事実であり、人間社会においては常識です。それを理解しないのは人間を診ようとしていないということです。もちろん、中身が伴わなければ、すぐにすたれていきますが、それを理解しないのはプロとは言えません。
つづきます。
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