御薗治療院に来られた方ならわかると思いますが、かなり距離をとって診察します。それは、気の界層構造を意識しているからです。
界層と距離というのは深い関係にあるので、一定の距離をとった方が、その人の全体像が見えるという特長があるからです。 もちろん、離れたところからだけでなく、近づいて見ることもあります。
部分を凝視することもあり、より物質に近いものを診断する時にはそういう見方をしています。
高い界層からだけ見ていると、枝葉末節がわかりづらいという欠点があるので、そこをカバーする為にも近づいて、触ったり動かしたりする訳です。 どちらが大事というのは愚問で、どちらも大事です。離れないとわからないものと近づかないとわからないものがあるのと同様に、界層も高い界層からも低い界層からも見るということが重要です。
以前も書きましたが、地獄、餓鬼、畜生などと言うと低いものと思われがちですが、それは単なる思い込みです。地獄絵図を子供の時に見て怖い思いをしたという固定観念が強すぎるからだろうと思います。その固定観念から離れないと真実は見えてきません。
そんな人は一杯いると思いますが、そういう概念から離れる為には、全体を俯瞰して見られるようになる必要があるということです。
低いところからも高いところからも見る能力があれば、そこにだけ留まることもありませんし、そんな区別は一切なくなります。
そんな比較は、一つの界層に留まった時だけ起こります。比較が悲劇を生むことがあるのは、そこに留まるからです。落ちついて高い山から下を眺めたから自分変わる訳ではありません。えらくなった訳でもないし、下界にいるから落ちぶれた訳でもありません。一生自分は自分です。
高いも低いも単なる基準の違いです。それに優劣をつけること自体がナンセンスなんだと思います。
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