無意識を考える


このように無意識に疑問を持つことは大事です。そして、これを科学的に証明するのは殆ど不可能でしょう。また、それを証明できたとしても、再現させることは不可能かもしれないと思うことがあります。


たぶん万人に追試はできないということです。一定の条件を満たさないと追試は不可能と言えます。一定の条件とは、左足からズボンを履くということなんじゃないかと思います。つまりやってみるということです。職人のワザを科学的に検証することはできるかもわかりませんが、職人が物を作る時の感覚を共有することはできません。これを共感する為には、検証者が職人になり、その境地に達しないと絶対に不可能だとわかります。とても簡単な理屈だと思うのですが、科学で検証できるとわかった「気」になってしまうということでしょう。


やっていないのに理屈をこねまわしても、きっと何も証明はできないでしょうね。だから万人がわかる証明にはならないということだと思います。 

本当かどうかはやってみて判断すれば良い訳です。何も時間をかけて職人になってと言っている訳ではありません。ズボンを得手の悪い方から履くなんてどんな人でもできるはずです。しかし、それをやる人は一握りです。でもやれば如何に無意識に自分が行動しているかが明確にわかります。 


やってないのに無意識はどこにあるかという疑問を投げかけて絵に描いた餅です。きっと答えにはならないと思います。 脳にあるとか腸にあるとか言うのは頭で考えたことです。本当に、それを変えれば無意識を変えられるでしょうか?

再現できたとしても、本人の意志とは違う何かになってしまうのではないかと思います。 


このことを考えるきっかけになったのは、心臓移植で性格が変わったという話しを聞いた時です。

記憶はその人そのものなのに、食べ物の嗜好が変わったり歩き方が変わったりすることもあるそうです。しかし、それも必ず変わる訳でもないし、意図しない変化に戸惑うだけでしょう。

意識と無意識は両輪で働くのであって、決して片方だけで働く訳ではないのだと思います。

御薗治療院

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