治本、治標、局所とプログラム3

昨日の続きです。


最近の言語では、このような変数の宣言の規制を取っ払ったものもあり、簡単なコーディングができることが売りになっている言語もあるらしいですが、宣言をしておくことで、後からの保守作業がやりやすくなり、エラー処理を解析するのも非常に楽になります。

つまり、プログラムを解明する時の手がかりにもなる訳です。 また、宣言をしておくと、メモリの消費が抑えられるので、できるだけ最初に宣言をしておきます。


もちろん、何でも格納できるジョーカーのような変数を作ることもできますが、前記した理由のとおり、それを多用することは、あまり推奨されていません。 

パブリック関数や可変変数ばかり多用してしまうと、名前の種類が多くなり、収集がつかなくなります。パブリック関数は、どの文からでも呼び出せますが、逆に小さな範囲の中だけで処理を終えたい場合が自然に多くなるので、プライベート関数を多用します。 身体もこれと全く一緒で、治本法は局所法より簡単なプログラムでなければなりません。事実そうなのですが、それが理解しにくい人も多いみたいです。


この仕組みは国際社会における国と国の関係とよく似ています。漠然とした法律として、理由もなく、人を殺したり戦争をしてはいけないというのはどの国でも同じだと思いますが、全ての国で同じ法律を適応させようとしても文化や環境、宗教、習慣の違いがあるので、それは絶対に無理であり非合理的なのと酷似しています。 

グローバル化、グローバル化と声高に言う人がいますが、グローバルの枠組みは、かなりかなり限定的でなければ機能しないというのがプログラムを作っていて強く感じることです。 

だから何でもかんでもグローバル化することには絶対に賛成できません。ましてや島国である日本が、世界に歩調を合わせすぎれば非常に煩雑になって良いことなどなくなります。これと全く同じことがプログラムの中でも起こります。 身体にも、同じ現象が起こっているので、それらを明確にわけなければなりません。


グローバルとプライベイトを明確にわけないプログラムは、ミソもクソも一緒という冴えないプログラムです。解析しづらいので収集がつかないということになります。 身体も全く同じです。治本法と局所法をわけて考えないで出たとこ勝負というのは、だらだらと書かれたプログラムみたいなものです。もちろん、初心者の時は、ある程度必要なことだと思います。全身を触って感じるというのを繰り返す必要はあります。しかし、それはあくまでもテストコーディングです。どんな動きをする言語なのかを知る必要がある時だけです。しかし、そればかりではプロとは呼べないし発展はありません。

この症状に対しては、このやり方というような覚え方は、テストコーディングを繰り返しているのと全く同じです。必ず行き詰まります。そんな人が一杯います。何々テクニックと呼ばれているものを沢山学んでいると必然的にそうなってしまいます。


東洋医学という看板をあげて、全身のバランスをとると言う人がいますが、鍼を打ったら全身のバランスが調う訳ではありません。全身に影響するパブリックな治本法と部分に影響する局所法、治標法という三種類の使い方と考え方がしっかりしていないと人間の身体を理解することは到底不可能であり、プログラムされたものを紐解くこともできなければ、エラー処理をすることなんて夢のまた夢ということが言えます。 


ところが、そんなふうに明確に考えている鍼灸師が非常に少ないのには驚きます。   


御薗治療院

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