このような発想の転換も変わったのは観察者の目です。あくまでも観察者が存在しています。しかし、自分が遠い太陽系の端に行ったとしたらどうでしょう。
人間は人間の形ではなく、点以下です。地球そのものも点ぐらいの存在しにしかなりません。 もしかしたら地球も点にもならないかもわかりません。そんな状況で「個」は存在するでしょうか?
衛星からの写真でしか見たことがないし、行ったことがないので詳細はわかりません。しかし、点には上も下もないと言うことはわかります。当然前も後もありません。だから全体と呼ぶにふさわしい存在になります。
この図を見て、それを想像してみてください。かなり観測者という定義が曖昧になっているのに気づきます。しかし、肉体がここにあり、それを遠くから見る訳です。現実的にはできるはずがありません。
それでもイメージでは行ったり来たりすることができます。単なる仮定の話しだと思われるかもわかりませんが、やってみると意外にも全く違う姿が見えてきます。
イメージは運動ですから、この運動をすると、他と個の区別がなくなってきます。
これが術者の変態です。 途方もない話しのように聞こえるのは当然だと思いますが、東洋医学が最終的に目指すところは、そういうものなんじゃないかと思えてなりません。
見方を単純なものに変えてみる。
そして、それを遠くから眺める。
遠くから見たり、近くから見たりする。
単なる屁理屈のようですが、そのような考えでなければ成立しない何かがあるように思います。 だからこそ全体という言葉を不用意に使うと同意が得られない訳です。
どの距離感で見るかによっても違いがあります。
10m離れた場所から眺めれば、人間だとはわかりますがかなりぼやけます。1キロ離れたら、それだけで点に近づくのではないかと思います。
神秘的なことを書いているのではなく、誰でも実際に起こる現象です。近くばかり見ていると近視になって遠くが見えなくなります。
遠くから眺める訓練としても良いと思います。もちろん遠くからだけ見ていては見えないものがあります。
人それぞれ全体という言葉の意味が違うと、同じものを見ても同じにならないのは当然の結果です。だから、同じ刺激をしても同じ結果にはならないということです。
全体には上も下も前も後も右も左もありません。
そのことを理解し、全体という言葉を使って欲しいと思っています。
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