9歳の少年が宇宙を語っている動画がアップされていました。
その子曰く
「僕達は理論は作れるけど真実はわからないんだよ」
9歳!!
わかったようなこと言うね~。
でも事実ですよね。
感じるということに理論付けはできても感じるというそのものの現象はわかりません。
いくら勉強しても自転車には乗れないし、自転車に乗った時に感じる感覚はいつまでたっても得られない。
自転車を乗れるようになったら誰でも感じられます。
そういうことなんですよね。
鍼灸の治療も結構論理的に説明できたりします。
概念にのっとってなら整合性を保てるような雰囲気は作ることができます。
でも完全な整合性は保てない。
それは西洋医学でも全く同じなんですが・・・。
確かに炎症に対して抗生剤を与えればある程度予測した反応になりますが、100%じゃないんですよね。
わり算して余りが結構ある。その余りに悩まされる。
なんてことも多々あります。
論理はどこまで行っても論理です。
論理は真実じゃない。
論理が感じ方を超えることはありません。
不毛な議論をするより、感じたことをそのまま表現した方が余程整合性が保たれます。
人生の意味も語っていました。
僕が思うには、人生の意味というのは、自分次第でどんな人生を自分は生きたいのかだと思うんだ。 他人がどうしろとかどうこう言えるもんじゃないと思うんだ。
自分で決めるしかないんだ。
自分のことは自分しか決められないんだよ。
かりに、殆どの人に反対されたとしても それが完全に無理だってことはないんだよ。
僕たちの人生はたぶん運命づけられているんじゃないかな。
だけど、その運命は変えることができる。
僕の言っていることは間違っているかもしれないけど、
人生はある程度のことは決められている。
ドラマみたいにシナリオがあって、僕たちは自分で知らず知らずのうちにその役通りに行動しているんじゃないかな。
だとしてもだよ 運命っていうのは、自分がすでにわかっていることを教えてくれるものじゃないかな。
運命っていうのは、自分のこと、自分がすることがわかっているんだ
これもまた僕が間違っているかもしれないけど、運命が僕たちすべてを支配しているんじゃないかな。
9歳の少年がこんなこと言ってるんですよね。
運命のことまでね。
ある程度のことは決まっている。
それが理論です。
物を落とせば下に落ちる。
それを否定するのはかなり苦しいですね。
それはわかります。
それだから全てが決まっている訳じゃない。
確定していることと、わからなくて確定していこうとすることには違いがあるんです。
科学は確定していこうと長い道のりを旅している道半ばの学問です。
世界をよく見渡せばわからなくて確定していないことばかりじゃないですか?
科学は殆どの世界を確定していない。
それなのに何故確定しきっていると感じる大人がいるのか?
科学は不確定を少しだけ確定したという結果でしかありません。
決まったことを覚えるのは科学じゃなく暗記の勉強です。
暗記したものを人に伝える時、暗記しただけの知識だけどこういう結果がでているようです。
という姿勢が大事なんですよね。
科学的というのなら何があってもその精神を貫いてこそでしょうね。
だから絶対に似非科学と言って他を批判する言葉を使っちゃいけませんね。
科学的というのは未知を知に確定していく作業です。
でもその知は絶対じゃないということを知っていてこそ知なんですよね。
大事なことは知らないということを知っているということだと思います。
この少年が言っているように間違っているかも知れないけど・・・。
という姿勢が大事なんだと思います。
そんなに難しいことじゃない。
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