雀啄(キツツキのように鍼を動かす)や置鍼(鍼を打ったまま放置する)は、運動エネルギーを起こしてエネルギーを移動させるという緩やかな運動を起こしたことになると思います。 ただ、その範囲は限定的のはずです。運動エネルギーも、なんらかの障害物があれば減衰するからです。冷たい水をコップに注いでも、部屋全体は極々僅かに下るかもわかりませんが、大きな温度低下はおこりません。それは氷を置いても氷の近くでないと実感しにくいのと同じです。 つまり雀啄をしても、雀啄部位に運動エネルギーを与えられるかもわかりませんが、その影響力は全体には軽微だといえます。 鍼灸師の皆さん、エネルギーという言葉を安易に使わないでエネルギーの意味を噛み砕いて使ってください。そうすると「補」は補う「瀉」は奪うというイメージが変わってくると思います。 「補」と「瀉」というのは、そもそもエネルギーを与えるとか奪うのではなく、エネルギーの移動を助ける為のものと言えるのではないかと思います。そう考える方がエネルギーという言葉を使うのなら論理的だと言うことです。 大事なことは、どこに運動の低下があり、どこで運動が活発化しているかを知ってい
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