こういうことってないでしょうか?
確かに自分はやった記憶があるのに、それをもし人から否定された場合、自分の記憶が一瞬違っているかのようになった。
そういうことは日常起こりえることです。
しかし、その記憶が不確かで人の言っていることが確かなような気がしたら、ますます混乱してしまいます。
私もこの前そういうことがありました。
ええ~ってパラレルワールドに入ったみたいでした。
一瞬何を言われているかわからない。
過去の記憶は改ざんされる
フィルムカメラしかない時代の写真を見ていると、昔の風景って色あせてたんじゃないかと思うことってありません?
下手なことするとその時代って白黒だったんじゃないかと思うこともあると思います。
自分が撮った写真なら写真を撮った時のことを知っているはずです。
自分が撮ったんですから知らないはずがありませんよね。
写真を撮った時は今と同じように鮮明に見えていたはずです。
しかし、その頃に撮った写真は今見ると色あせて鮮明じゃない。
その写真を何度も見て昔のことを思い出していると、その写真を通して昔を思い出している自分がいます。
昔って色あせていたんじゃないかと錯覚しませんか?
実際には、その頃あったことは色あせたことなんて一度もない。
今と同じように鮮明だったはずです。
これは間違いありません。
過去に起こった事を本で読むのも同じです。
そのまま鵜呑みにしたら鮮明じゃない写真を見ているのと同じことが起こります。
過去は過去です。
過去は「今」になったことが一度もありません。
過去から学ぶことはあっても、それは「今」じゃない。
「今」じゃないことを過去から学んでも未来にはつながらない。
本の内容も過去に書かれたことです。
必ず色あせてます。
単純に記憶だけしてしまうと色あせてしまったその本のフィルターを通してしか過去を見れないことになってしまう。
これは絶対に未来につながらない。
それは間違いありません。
これは記憶がどんどん書き換えられていっているということです。
だから写真が色あせることで、記憶まで色あせて不鮮明になります。
そのまま未来を見通そうとするのは必ず無理があります。
心に記憶させると古い写真以上にうろ覚えでハッキリはしませんが、確実に身体で記憶します。
そのことを思い出すと鮮明なままなんですよ。
それは映像ではなく感じたままを思い出すからです。
そういう意味からも実感というのはとても大事なものだと思います。
今実感していることってリアルです。
記憶ではありませんからね。
「今」感じていることです。
感じるのは目からの情報だけでなく、身体の痛みも違和感も全てが実感です。
それに気づきます。
このリアリティに注意を向けていると記憶ではない感覚が養われます。
これが結構治療に役立ちます。
そういう記憶の仕方があります。
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