情報が過多になると良い?
確かに情報が多くなると取捨選択するものが増えて、幅が広がります。
しかし、情報が多くなると時として人の心を翻弄してしまうこともあります。
マスコミが、政治で同じ話題を同時にしたとします。どの局をつけても同じことを言っているというやつですね。新聞やテレビしか見ない人は、その話題が今の話題であり、もっとも重要な話題で他のことは、あまり重要でないと感じてしまうということです。
視聴者は、世の中は、その話題以外に大事なことはないという感覚に自然になってしまう。
こういうメッセージをメタメッセージと言うそうです。
SNSなどから情報を集めている人は、テレビや新聞しか見ない人のことを批判したりしますが、この現象は、ネットの中では、逆に余計に強くあらわれる可能性もあります。
同じような考えを持った人がネット上で集まって、日々同じような話題をし続けていると、自然にメタメッセージが植え付けられる。違いは、一つの機関(新聞社やテレビ局)が流すメッセージではないということだと思います。
マスコミは、新聞を買ってもらったり、テレビを見て貰わなくてはならないから、面白い話題を提供しなければならないという使命が当然あります。
意図してやっているというのもあるかもわかりませんが、たぶん営利主義的に意図した記事を書いているということなんだと思います。
ネット上に起こるメタメッセージの場合は、もっと複雑です。陰謀論を打ち立てた人の理論が、何となく正しいのではないかと思う人がいると、それに連なった人が、次々とメッセージを上書きしていきます。その関連サイトしか見ない人は自然に、それが真実であり、それ以外は真実ではないと思ってしまう可能性があります。
この現象についてネットで話題になった記事があります。
アップルの創始者であるスティーブジョブズが亡くなる前にティムクックに残した最後の言葉というのが掲載されました。
ジョブズの言った言葉は簡単に要約すれば、人の目から見れば大成功の人生だったと思うかもわからないが、認証(認められること)や富は、 迫る死を目の前にして 色あせていき、何も意味をなさなくなった。
という記事です。
後から、これは事実ではないと否定されているようです。しかし、真相は当事者しかわかりません。最近亡くなったスティーブジョブズのことですら、本当かどうかを確認することはできない訳です。
しかし、この記事しか読んでない人は、一つの思い込みをしてしまいます。お金では、成功とは言えないんだなとかね・・・。
自分の都合の良いように感じた人は多かったのではないでしょうか?
それだけなら、それで終わってしまいますが、ネットでは記事を検索し、それに関心をもって何かアクションを起こすとビックデータとして、その人の傾向を割り出して商品や関連記事を探しやすくなったりしています。
つまり、次に関連する記事がでてきたりする。それを読むと、やはり同じようなことが書いてある。
つまりメタメーセージに陥りやすい道具だと言えなくもない訳です。
便利な反面、そういう欠点もあるということを知った上で、利用するということが何よりも重要です。
もし、これがフェイク記事だとしたら、そのフェイク記事を書いた人の意図がなんだったかはわかりませんが、まんまと情報に操作されたということになります。
あれだけ好きなことを信念を持ってやった人の言葉とは思えないな~。
という疑問と、あれだけ好きなことをやっても、最後はそんなこと言ったのか~。
という二つの気持ちが私の中にも起こりました。
信じる信じないは、事実の確認のしようがないので、わかりません。つまり情報は事実から離れた言葉の羅列であると気持ちをもって情報を扱うことなんだと思います。
歴史も往々にしてそういうことがあるように思います。
殆どの人は真実は見ていません。事実と称して記録が残っているものを色々集めて、分析した結果、これが事実として確からしい。
というのが歴史だと私は思っています。
結構確率論に近いものなんじゃないかと思っています。
現代の新聞やテレビで真実とは思えないような報道が常にされています。
古文書なども、そういう手心が加えられていないとは、到底思えない。
中国の歴史は、もっとあからさまだと言います。
その時の権力者が、自分の都合の良いように歴史を書き換えてしまう。そういう文化があるので、何が真実かは全くわからないということらしいです。(私が言っているんじゃないですよ)
そういう意味では日本は、できるだけ事実に基づいて書かれることが多かったと言われていますが、それもニュアンスの違いで真実を隠した可能性はあります。
これらも昔の人が現代人に残したメタメッセージです。メタメッセージが良いとか悪いとかではありません。
最新の情報であったとしても、常にメタメッセージが含まれているのが情報だということを知って情報を集めるということが大事だということです。
もちろん、私の書いているブログの情報も本当かどうかは、私のメタメッセージが含まれているので、注意して読んでいてくださいね。
(^^)/
意外にもホントに正確な記録って残りにくいのではないか?
それは、これだけ技術が発達しても、今も昔も絶対に変わることはないと思っています。
逆に隠そうと思えば、今の方が事実じゃないことを拡散しやすいのかもわかりません。
だから本当のことはタイムマシーンにでも乗って、この目で確かめる以外に知ることはできないなと思っています。
まぁ、そういう冷静な目で情報を扱って欲しいなと思っています。
情報は活用してこそです。嘘かホントかは、現在で再現することでこそ利用価値のあるものです。
「今」の積み重ねが、歴史です。
何の為に歴史を学ぶのかは、今をよりよくする為のはずですからね。
0コメント