数日間、メタメッセージについては、養老孟司氏の書いた内容を私なりに解釈してみました。
そのまま書いても面白くないし、私の感覚とは違う内容のものもあるので、キモの部分しか抜粋してません。
でも情報量が多ければ良いと考えるのは浅はかという考えには賛同します。
私自身、常に思っているのは、教科書は身体の中にあり、という教えから来ています。
本はパラパラ読み。
東洋医学は概念をネットで調べれば、十分なんじゃないかなぁ~って思うことも多々あります。
古典をしっかりやっている先生には怒られそうですが・・・(^^;
大枠の概念は必要です。
言葉がなければ、考えにもなりませんからね。
だから自分で考えるというのが基本中の基本なのですが、養老先生の先生も同じようなことを言っていたそうです。
科学論文を書こうとすると、関連のものを全部網羅する為に他の論文をチェックしますが、キリがない程あるそうです。なぜなら、他の人が書いた無数の論文を読んでいると、徐々にそちらの方に引っぱられて自分が考えたことが希釈されるそうです。
これもの凄くよくわかります。
その危険性を良くわかった上で、養老先生の先生は、「本を読んじゃいけないよ」と教えたというのです。これには笑いました。
本を読んじゃいけないよ、という裏には、その本と真正面から向かい合ってはいけないということだろうと思います。よくできた本というのは、非の打ち所がない。
そうすると疑問がわかないかららしいです。
とても面白い。
疑問は、常にあった方がいい。
疑問がなくなるなんて現実的にはあり得ない話しですからね。
でも実際、キチンとした教科書ばかり読んでいると疑問を起こすことがなくなってしまう。もちろん、基本的な概念は必要だと思います。その話しではなく、何か新しいものを見つけたり、書こうとしたりすればという意味です。
もの凄く皮肉な話しですよね。
頭の良い人が必ずやっていることです。
ある意味私の話も唯我独尊の話しです。科学的に証明されている訳では全くないし、自分で経験したことですら、否定したりしまうからね。
でも、そういうことを繰り返して何となく、何となくですよ。
なんとな~く、全体というのが見えるのではないかと思います。
なんとなぁ~く全体が見えると、なんとな~く、何を見ても聞いてもわかるようになってくる。
そういうもんじゃないかなぁ~って思います。
一芸は百芸に通じる。
情報が少ないからこそわかることもあるということでしょう。
無駄は無駄でない。
ということにもつながりますね。
もちろん、この内容は完全にメタメッセージです。
惑わされないように!!
(^^;
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