意識は動く前段階の運動

座る立つ、歩くをテーマに以前から話をしていますが、一番難しいのは歩行だろうと思います。

こうすれば良い歩行、これは悪い歩行という区別を殆どの人がしたがりますが、そんな理想的な歩行が存在するのでしょうか?


それは事実でしょうか?

歩行に良いも悪いもない。

それが私の最終的な結論です。


膝の痛みを抱える人は、自然に横揺れが酷くなる歩行をします。

本人は横揺れをしているつもりはない訳です。

しかし、自然にそうなります。


何がそういう結果にさせたのでしょうか?

そして何が痛みを起こし続けているのでしょうか?


そこを考えなくてはなりません。


膝が曲がっているから?

それじゃ~何故膝が曲がったの?

曲げる方が楽だから?

普通は曲げる方が楽じゃないのに、その人は何故それを選択したの?

という具合に問いかけをします。


その前に歩行は何の為にするのでしょうか?

この問いに焦点を合わせてみましょう。


どんな歩行をするにしても歩行をする意味は、目的地に着くためです。

つまり、歩き方がどうであれ、目的地に着くことが最優先されるのが歩行です。

あきらかに座るとは違います。

座るは静止していることが目的ですが、目的意識がハッキリしにくいですよね。

楽に座るのはどうしたら良いかという思いを持って座る人は殆どいませんからね。

ただ座っている。

だから、その人の癖が出やすいと言えます。


武術は相手を制圧するためです。

健康になるために行うものではありません。

これが事実です。

そのことを忘れてしまうと、本質を大きく見失います。


手足をバタバタ動かしても目的地に到達することはできます。

バタバタ動かさないで、効率よくやろうと思うと様々な歩行の仕方があります。

古武術的歩行や西洋的歩行

どちらもそれぞれに利点と欠点があります。


一番良いのは、そのどちらもが瞬時に切りかえられる柔軟性です。

ただ、歩行に関しては、戦う訳ではないので、意識はどこに向かいたいか?

なのです。

実はそれがハッキリしていれば、その人にとって今一番楽な歩行が可能になります。

それは古武術的でも西洋的でもなく、その人個人の歩行の仕方です。

だから人真似ではないので自分で見つけないと駄目なのです。


足の悪い人に足に注意を向けて歩行させるとチグハグな歩行になってしまいます。

例えば大股歩行です。

しかし、目的地をハッキリ決めて、そこに向かわせるように歩行させるとその人なりのスムーズな歩行ができます。

つまり大事なことは歩行の仕方ではなく、目的地に行くという明確な意識です。


様々な歩行を指導したり、これが良いと豪語する人の指導は、特定の人にとっては苦痛以外の何者でもない場合があります。

歩行を何の為にするのかを忘れて、歩行の方法論に固執した結果、歩行の意味を忘れてしまった指導と言えるでしょう。

そんな指導を受けると良くなるどころか悪くなることもしばしばある訳です。


だから足の悪い人は、足に注意がいくので、下を向いて歩こうとしてしまいます。これは共通しています。無理な歩行をさせると自然に下を向いてしまうのです。

これは意識が足にあるからです。

歩行指導していて下を向くような行為をしたら、その歩行指導は間違っていると言えるでしょう。


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