一瞬で身体が変化することを、マインドコントロールだと言う人がいます。
プラシーボだとも・・・。
科学的じゃないし、それを信じる専門家は?
などと言う人もいます。
確かにそうかもわかりません。
常識は打ち破られてこそ常識なんですが常識に縛られる人っています。
常識を打ち破る為には、基本的なことを徹底的に考えることです。それができれば常識は自然に変化していきます。
新しいことを開発する人は必ずそうしています。
まぁ、見たこと、感じたことがないんでしょうね。
そうなった瞬間をね。
そういっている人に聞きたいのですが、一瞬で変化しないという科学的証拠はどこにあるのか?
そんなものはどこにもないはずです。それを聞いてみたい。
その「場」で起こった「今」を信じる必要もないし、信じない必要もない。
しかし、現実的にその人に起こったのですから仕方がない訳です。
「辛い」と感じたものを否定しているようなものです。
一度も「辛い」と感じたことがない人が、この世に「辛い」なんていう感覚はありえないと、言っているようなものですね。
確かに特定の人に起こって、他の人には起こらないかも知れません。
だからと言って、それが事実でないとは言い切れない。その人にとっては真実なのです。
そして、そういうやり方でしか楽にならない人もいるということも事実です。
必要なものしか必要でなく、不必要なものは必要ない。
と普通は考えています。
しかし、その必要なものは自分にとって必要なだけで、他人にとって必要かどうかなんて全くわからないんですよ。
一見不必要で邪悪なものに見えるものも、その人にとっては必要なものがある。
一般の人が必要と思えるものは、その人にとっては、必要ないことであったりする訳です。
または必要性が少ない訳です。
感性というのは多種多様あって全体です。
そんな人が全体を冷静に見て!!
とかヘルスリテラシーがなどという言葉を使っています。
ちょっとおかしいなぁ~って思ってしまいます。もちろんそれを否定しているんじゃありません。
それだけが正しいと言っている人がおかしいと言っている訳です。
確かに全体を考えたら、確率論が成り立つでしょう。しかし、それが本当に正しい?
どこに行くにも学生服じゃないと駄目と言われたらどうします?
学校に行く時は学生服でも良いかもわかりません。
しかし、家に帰ってきたら私服に着替えたいですよね。
医療も全く同じです。
どちらが真実?
どちらも真実なのでは?
ケースバイケースのはずなのに、やっぱり人ってみたいようにしかみないんだなと思います。
確率論で話をした方が楽だからでしょうね。
まぁ、それを悪用して商売する人も確かにいます。それはやめて欲しいとは思います。
傷めた関節の靭帯が断裂していると言われ、痛みが止まらず困っていた人が、一瞬に変化し、その原因が何である可能性があるかまで突き止めて(過去の怪我)楽になったと言って帰っていきました。
一瞬で変化させるのは嘘だと言われると、あることをないと言わなければなりません。
それっておかしくないですか?
ましてや専門家の言うことではないなどと言われるとね。
経験したことがない人にとっては嘘になるんだなぁ~と思います。
まぁその人の見解ですからね。
それはそれで尊重しますが、見解が狭すぎるんじゃないかなぁ~とは思いますね。
そういう人の話だけがスタンダードになってもらいたくないです。
もの凄く危険に思います。
最近の入社式は、同じようなスーツだそうです。これを異常だと思わない?
だんだん、「辛さ」を感じない若者が増えたのかなぁ~。
つらいことです。
もちろん一瞬で変化させられないものはあります。
それにはそれなりの原因があります。
強い炎症があれば、やはり抗生物質で炎症を抑えた方が効果的なのを否定している訳ではありませんからね。時間もかかります。
そんなのケースバイケースです。
ただ、炎症が治まらないからと言って漫然と抗生物質を投薬するという方法は、ほんとにどうかしているなぁ~と思います。
抗生物質は諸刃の刃ですからね。
そんなことも考えずに漫然と投薬していることの方が余程問題だと思うのですがね。
投薬量を減らしつつ、何が原因かをある程度突き止め、体力をあげるようなことをしないと治せるものまで治らないはずですからね。
それって私達の役目じゃないかと思います。
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