慢性痛があるから気分が優れないのか、気分が優れないから慢性痛になっているのかを区別する方法があります。
痛みのある場所を軽く触れてみることです。
その局所に問題があるとすると、何らかの腫れや緊張と言った異常を触診で認めることができます。
しかし、気分が優れない為に慢性痛になっている場合、局所を触っても大きな異常はありません。
これはもの凄く重要だと思います。
それでは本人が嘘をついているのでしょうか?
違います。
本人は、それを区別できないのです。
この痛みが、気分が優れないから痛いのか、痛いから気分が優れないかをです。
例えば、怪我をし、局所が腫れている場合、あきらかに、その局所は触っても腫れがあるのを確認できます。しかし、慢性痛の場合、痛い場所を触っても、確かに奥の方に腫れらしきものはあるような気もするけど、そんなにハッキリした異常ではない。
と認めることができます。
このような場合、やはり問題になるのは痛みのある局所ではない可能性が高いということです。
そこで全体を観察することが必要になってきます。
身体全体の触診をしながら、腫れや緊張といった異常な部位を見つけます。
そこに手を当てることで、症状のある部分が改善することがあります。
あきらかに原因が痛い場所とは違うところにあるということになります。
手を当てるだけで、動きが良くなったり、圧痛がなくなったりもします。
気分が優れないから脳から痛みの信号を出しているとわかります。
つまり調整する部位は、症状のある部位ではないということです。
そんな症状の方は沢山います。
悩んでいる症状が、全く違う問題だったら、痛い場所をいくらいじっても良くなるはずはありません。逆に悪くなります。
全く無関係に見える場所から来ていたら、誰がそれを示唆してくれるでしょうか?
誰も示唆してくれないでしょう。
なぜなら、そんなところが問題だと誰も思わないからです。
しかし、頭蓋骨にはそういう場所や、刺激点が沢山あります。
心から脳に伝わり、脳から末端に命令が行く訳です。
脳からの信号が明確でなく、間違った情報を末端に送っていたとしたら、決して正しく身体を動かすことはできません。つまり痛みの元を作ってしまうということです。
正しく動けない状態で正しくしようとする(例えば綺麗な姿勢)と、余計に正しくなくなるのです。
これはもの凄く重要な事実です。
正義や真実は、真正面から訴えても通らないという社会現象と全く同じ状況です。
だから、正しいことは、正しい事とは言えないという状態が身体にも起こっているのです。
これはホントに面白い現象なのですが、社会や人間関係と酷似するのが身体の訴えです。
身体は小宇宙と言う言い方をしますが、その言い方は、頭だけでわかっているだけです。
私から言わせれば陳腐な言葉だけの理想論です。
しかし、実際に身体は、それを表現しています。それを実感すると、そうとしか言えないという経験をします。そこではじめて、小宇宙みたいという言葉がでてきます。そういう思考が科学的なのです。人はなぜ、人の言う言葉を信じきるのでしょうか?
実感のない言葉は陳腐な飾り物と同じで実のないものだということです。
理想論は理想論
現実にする力を得てこそ、理想論でなくなります。
0コメント