昨日の続きです。
心臓は横隔膜とは結合組織でつながっています。
また心臓の上部と中部から結合組織が伸び胸骨につながっています。また頸椎の下部から胸椎上部にも結合組織でつながっているという事実があります。
この事実から考えられることは、心臓に何らかの異常があると、胸骨にも頸椎にも影響が出る可能性があるということを意味していると思います。
また心臓と横隔膜も同様に結合組織でつながっているので、横隔膜周囲の臓器、特に胃とは何らかの関連があってもおかしくないということです。
例えば、胃潰瘍の場合も狭心痛のような痛みが出ることがあるらしいのですが、この事を知っていれば納得できるのではないかと思います。
それならば、胸骨の触診によって心臓の状態を推し量ることは可能なはずです。
また上腕部は心臓から出た血管が直接、腋窩を通って流れますので、上腕部の緊張は心臓の状態を観察するポイントにもなると考えられます。
上腕部の痛み、背部の痛みが心臓や肺の問題と深く関係するという推察が自然にできるようになります。知識というのは面白いもので、観察を主体として診察している私にとっては、後付けできる便利なものです。
知識から入った人は、意外にもこういう考え方ができない人が多く、自分の持っている知識の枠を飛び越えようとはしません。
身体を観察し、様々な現象を経験してから知識を得ると、その知識もすんなり入ってきます。
ベストキッドという映画をご覧になった人もいるかと思いますが、師匠が弟子に木に服を着せて、また脱がせるという動作を何度も何度もさせるシーンがあったのを思い出します。
弟子は、その行為に何の意味があるのかわからず、練習をさぼってしまうのですが、意味がわかってからは、必死にその基礎練習をして強くなっていく。
というシーンがありました。
あれと同じですね。
つながるような知識が入った時に大きく飛躍するのです。それまでジッとひたすらやり続けるということが重要なのですが、知識から入ると、それがなかなかできません。
最初からそれを技だと教えてしまうと、その練習の意味も逆にわからなくなってしまうこともあります。まずは知識を捨て、ただただ観察する。それに徹することです。
それが経験となって、ちょっとした知識を得ることで、その知識が3倍にも10倍にもなる。
時短しようとして、知識を詰め込んでも、結局は実践でいかされることなく終わってしまう。
そのうちに使わなかった知識は、どんどん忘れてしまいます。
急がば回れという言葉があるように、何の知識もなく、ただ観察してみるという癖をつけることで、様々な知識がつながっていく訳です。
もちろん、つながらない知識もあります。そんな知識はさっさと忘れてしまって、感覚に集中する。
それを繰り返していくことで、知識が初めて本物になり、広がりをもちます。
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