適度な刺激がどれぐらいかというのを考えない治療家は多いと思います。
鍼が効く、灸が効く、という感じで刺激の質に拘る人は多くても、その刺激量を変化させる人は少ないのではないかと思います。
刺激量に意識を向けると、どれだけ刺激量が少なくても効果をあげられるかということに興味を持ちます。そうすると極微量でも効果があることに気づきます。
そして、意識するだけ、思考するだけでも効果があるということに気づきます。
思うということは身体を大きく変えるエネルギーです。思いがなければ身体は動きません。
思がないのに身体が動いてきたら病気です。
慢性痛を持っている人は、身体への思いも慢性痛です。
思いが注意深くないということですが、どうすれば注意深くなれるのかを考えず、意識を外に向けてしまいます。
つまり、やり方に拘ってしまうということです。やり方に拘るとやり方のせいになります。だから人のせいにします。
そうではなく、自分自身の身体への思いを変化させなければなりません。
まずは、そこからです。
膝が痛くて変形している人は、なぜか早足になってしまいます。ペンギンのような歩き方になってしまいます。まるで、焼けた石の上を歩いているようです。だから思いも自然に早くなってしまいます。早く目的地につこうとして焦ります。
足をつけたくないという思いを変える必要があるということです。
正に地に足がついていない状態です。地に足をつける為には、ゆっくりと、少し大股で歩いてみることです。ゆっくり歩いてみると、身体のバランスを崩しているのがわかります。
つまり身体の中心が揺れています。だから思考もブレてしまう。動きが思考に影響を与えている状態と言えるかもわかりません。
鶏が先か、卵が先か?
思考と動きは表裏一体です。
これはやり方ではなく、思いでしか変化させられません。痛いからそういう歩き方になるのではなく、そういう思いを持っているから痛いのです。だから、今までのやり方を変える練習をしてみる訳です。
やり方を変えるのではなく、思いを変える。思いが変わればやり方は自然に変わります。
それに徹すると本質が見えてきます。本質はゆっくりの中でしか得られません。だからゆっくりを意識する訳です。
でも、ただゆっくりやれば本質がわかるのではなく、本質をわかろうとしてゆっくりに自然になるのです。
この違いは、とてもとても大きな違いですが、そこに焦点を当てる人は少ないなぁ~といつも思います。
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