運動をするということは瞑想と同じです。
一般的には瞑想と言うと、ただ、じっと座っているというイメージですが、 私の行う瞑想は、 かなり動的なものです。 見た目は殆ど動きません。
小さくゆっくり綺麗に動く、ということを目標にやっていると、ほとんど止まった状態にしか見えません。普通なら静止していると思われても仕方がない動きですが、ガチガチに固くなった関節を解くにはこの方法しかないと考えています。
なぜなら固まった関節を少しでも動かそうとすると、必ず代償運動が起こるからです。代償運動を行ってしまうということは器用さがなくなってしまい、それを癖づけてしまうと、一生、器用には動かせなくなります。見た目には、動いているように見えて、部分的に動いていないところが必ずできます。言い換えれば、関節が固まるというのは、この状態になったからと言えます。
動きの中でも一番難しいと考えられるのは胸椎の上部です。これは肩甲骨や肋骨と連動 していますので、元々わずかな動きしかありません。そして、この動きは呼吸と関係があります。下手な動きを覚えてしまうと、呼吸状態が一生悪いままになります。
よく肩甲骨を 動かしなさいと言われますが、むやみに肩甲骨を動かしてしまうと、必ず代償運動が起こってしまいます。この動きだけはかなり注意深く行わなければなりません。見た目の動きからは、想像できない程、様々な筋肉と関係しています。
綺麗に動かすということは 代償運動を伴わない動きができるということです。最初は小さい動きから少しずつ大きく動かしていくという形でないと、なかなか綺麗に動くことができません。殆どの人は可動範囲をひろげようとしますが、可動範囲を広げるということは不正を起こしやすい身体になるということとイコールです。可動範囲ではなく、可動状態に意識を向けるべきです。
下手なことをすると一部分に力がかかってしまい呼吸はもちろん、肩や手首、首、腰までも痛めてしまうことがあります。しかし、それが原因だとは気づかないことが大きな問題です。
代償運動にここまで気を使う必要があるのか?
という 疑問が起こるかも分かりませんが、 それほど代償運動というのは身近に起こりますし、体調不良を簡単に作ってしまいます。
自分は綺麗に動かしているというつもりで代償しているので、自分の動きを認知できません。そういう動きを続けていると癖のある動きしかできなくなってしまいます。
認知していないということは、自分のことをわかっていないということです。だから動きに不正があっても気づかないということになります。これが一番の問題だろうと思います。
だから綺麗にゆっくり動かす意識はとても大事なのです。意識は自分の心から発せられた電気信号です。その電気信号に不正があれば、命令を受けた筋肉は絶対にキチンと動けるはずがありません。そこに意識を向けていないと、すぐに不正のある動きをしてしまいます。
動的な瞑想は、動きだけでなく精神を助けてくれます。頭の中だけで行う瞑想は、動きを伴わないので、自己を見つめる為の中心を見失ってしまうようにも思います。
初心者は動的な瞑想から行った方が効果的だと私は思います。
頭の中で行う瞑想は、余程の達人でないかぎり難しいだろうなと思います。だから禅病などと言う症状がでてしまうのだろうと思います。その時に一番問題になるのが、この胸椎上部と肩甲骨の動きの不正です。私もこの動きには、ホントに悩まされました。
学生の時に首を鍛えようとして、ブリッジをしながら、バーベルをあげた時に胸椎上部の不正を感じ、それから長年にわたって癖があります。最近やっとそれを解く方法を考えました。それがこの胸椎上部の動かない動きであり、それと連動する肋骨と肩甲骨の動きに集中することでした。
まだまだ、先があると思いますが、それを行うことで呼吸が正常になり深くなりました。
呼吸が深くなると精神的にも落ちついてきます。
これからも自分の身体に注意をむけて、この動きを探求する瞑想をしていこうと思っています。
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