肺と首(頭項は列缺)

この前ネットを見ていると面白い記事が投稿されていました。

それは、列缺という肺の経路(経絡)に俗する穴が頭痛に効果的という記事です。これは、古典の四総穴という考え方から来ています。


肚腹は三里 留め

腰背は委中 求む

頭項は列缺 尋ね

面口は合谷 収む


頭や後頚部は、なぜ列缺なのかと学生の時は思っていました。しかし、臨床をやっていれば、その答えは簡単です。咽頭から頭痛や後頚部の緊張は容易に起こるからです。咽頭部の後方は、上部頸椎から下部の頭部にありますので、その理由もハッキリしています。


頭痛を起こしている人の甲状軟骨を触ってみれば、圧痛が強烈にあるので、その答えは普通にわかります。

昔、私が歯痛を起こした時に、前頚部を保冷剤で冷やすと痛みが治まるという経験をしました。歯痛の場所だけでなく、色々と探ってみると、前頚部は、頭頚部の様々な症状に大きく影響しているのがわかります。鼻咽腔は、頭痛や後頚部の痛みにもかなり効果的です。炎症の起こりやすい場所なのは明白で、その影響が頭項だけでなく、あらゆる関節の炎症の元になっていることが殆どです。

風邪は万病の元ということです。


だから頭項は列缺に尋ねなんだと思います。つまり四総穴のシステムは、経絡を無視し、かなり深く入った病の時に使うシステムだと言うことです。だから深く入った場合にしか、これは適応になりにくいとも解釈できます。

歯痛の場合、面口は合谷という考え方もありますが、それと同時に肺系統の異常を調整しないと治まらない歯痛もあるということです。合谷で消える歯痛と、列缺(肺系統)で消える歯痛があるみたいです。


経絡の概念で経路(けいろ)から言えば、頭痛や後頚部の凝りは、小腸経や三焦経が関係しそうですが、逆になぜそうだと考えてしまうのか?

というか発想が乏しすぎないか?

ということを臨床家なら考えないといけません。


経絡という概念を用いた経路(けいろ)としての概念を適応させているなら、そういうこともありえます。しかし、このシステム(四総穴)は、経絡とは無関係に組まれているということに気づく必要があります。

だから腰背は委中と言っても、ギックリ腰などの症状には使いにくい。他の緊張と複合して委中を使うことはあっても単独で刺激しても効果は得にくいとも思います。そして、あきらかに状態による適応があるということです。腰痛には色々ありますからね。

肚腹も三里でと言いますが、全ての腹部の疾患と捉えるのではなく、深さを考えないと効果的な方法とは言えません。


深いところでの炎症がある場合は、このシステムはかなり効果的に働くのではないかと思っています。要するに、穴を経絡の一員と考えて刺激するのか、単体のものとして考えるのかで、システムに違いがある訳です。なぜ、症状の経路=経絡の走行なのか?

一つの見方でしか見られないと何も問題は解決しません。最初に教えられたことが頭に残ってしまって、発想の転換ができないということでしょうね。


古典の読み方は、総合的に読むのではなく、一つ一つの項目を他と切り離して読む「癖」をつけた方が良いです。ごちゃ混ぜになっていると、古典の重箱の隅をつつくような理論になり、臨床では効果的ではありません。もっともっと人間の身体の反応を重視する解釈をしないとキチンと読みこなすことはできないと思います。


そんなことを訴えても古典を隅から隅まで読んでないので、古典重視派の人には、叱られるかもわかりませんが、利用価値のない理論は、利用価値のある解釈ができるようになるまで放っておくというのも読み方の一つです。

達人になると、このことがよくわかっていて、なぜここで古典のそんな記述を使うのか?

というような配穴をする人がいると思います。

達人と凡人の違いは、常に頭の中でそういう訓練が出来ているかどうかに他なりません。頭の使い方で効果は全く違ってきます。


古典重視病にかからない為に早くそのことに気づいた方がいい。

御薗治療院

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