神智学の界層構造と十界

さて、かなり横道にそれたので、本題に戻しましょう。


神智学だけが、界層構造を唱えたのではないようです。仏教にも、それらしきものがあり、十界という魂の段階のようなものがあるようです。 

気を神智学の界層構造だけで判断するのは、もったいないので、それを十界と対応させてみると、また面白い現象が起こります。この界層構造という概念を通して「気」を変態させない限り、「気」そのものを理解することはできないと私は思います。なので誤解されるということを恐れず書いてみたいと思います。 


何度も断りますが、専門的な仏教者でもないし、そう考えた歴史や誰が考えたものなのかなんていうのは私の興味の範疇にはないので、学問的なことを言われても一切わかりません。

概念だけを利用しているだけというのを理解した上で読んでみてください。興味が出てきたら少しずつ調べていこうかとも思っていますが、興味の対象は、あくまでも、それによって何かが変化する可能性がある時だけです。それ以上の興味は一生起こらないように思います。 


十界には仏 菩薩 縁覚 声門 天 人 修羅 畜生 餓鬼 地獄という界層があります。日本人は、地獄というと、悪いイメージを持ちやすいと思いますが、私から見れば、華やかで変化に富んだ物質世界というイメージです。 それに抵抗感があったとしたら、日本人だからだと思います。

外国の方なら、十の界層があるのか~ぐらいにしか考えないと思います。地獄って漢字がかっこええやん。みたいに思う人もいるかもわかりません。あくまでも日本人で、悪いことをすると地獄に落ちるというイメージが強い人程、抵抗感があるのは間違いありません。


子供の時に植え付けられた意識から逃れられないのだろうと思います。まんまとひっかかって意識の奴隷になっているんじゃないかと思ってしまいます。だから、何々をしたからバチがあたったなんて言う因果関係をもち続けている訳です。それは自分だけは地獄から逃れたいと言う思いから、地獄を意識し過ぎているんだろうなとも思います。

そんな意識しかもっていなければ界層構造は一生理解することはできないと思います。


こんなことを書いたら抵抗感のある方は多いかも知れませんが、それを否定するつもりも肯定するつもりもありません。実体のない概念ですから、どう考えるかは、その人次第です。


あくまでも魂の進化の段階という話しなので、これを頭ではなく肌で理解する為には、日本人としての思い込みを捨てる必要があります。私もこれには、かなり苦労しましたが、しっかり臨床をやっていると超えられると確信しています。しかし、子供の時に見た地獄絵図から頭を切りかえるのは並大抵のことではなかったです。


ある意味日本人を捨てる覚悟が必要ということです。 でも、誤解してもらうと困りますが、私は日本人で良かったと心の底から思ってます。そして、日本人だからこそ、この意味がわかったとも思っています。外国に住んでいたら、きっと天使と悪魔という概念から逃れられなかったのではないかとも思います。


 続きます。 

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